豊田 拓矢 (とよだ たくや、1987年3月28日 - )は、埼玉県八潮市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
小学校5年生の時に「小作田ベスターズ」で野球を始め、八潮中学校時代は「八潮シニア」でプレーした。浦和学院高等学校では1年生時の夏にベンチ入りし、チームは1年生時と3年生時に全国高等学校野球選手権大会に出場、自身は通算で2試合2/3回を投げ防御率0.00だった。
上武大学4年生の時、関甲新学生野球・春季リーグで5勝を挙げ最多勝を受賞した。この年、チームは第57回全日本大学野球選手権大会に出場。大学通算成績は12試合74回を投げ9勝2敗、防御率1.82。
TDKでは1年目から都市対抗、日本選手権に登板。3年目にJR東日本東北の補強選手として第82回都市対抗野球大会に出場、2回戦で救援登板し勝利投手になった。5年目の第84回都市対抗野球大会の2回戦で先発登板し、ヤマハ打線相手に7回2死まで完全投球をしていたが、その後1点を失い敗戦投手になった。
2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに3巡目で指名され、契約金6000万円、年俸1200万円(金額は推定)で合意し、入団。背番号は「19」に決まった。
西武時代
2014年は開幕を一軍で迎えた。3月29日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦において3点ビハインドの9回に4番手でプロ初登板し、1回を投げ被安打0、奪三振1、無失点だった。4月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦では1点リードの5回一死の場面に2番手で登板し、1回2/3を投げ無失点で初勝利を挙げた。この日、ともに新人の中日ドラゴンズの又吉克樹とオリックス・バファローズの東明大貴もプロ初勝利を挙げたが、新人の投手3人が同日に初勝利を挙げたのは59年ぶりの記録となった(新人に限らない3人同日の初勝利では2年ぶり)。しかし、同月22日の対楽天戦ではアンドリュー・ジョーンズにサヨナラ本塁打を浴びた。5月21日の対読売ジャイアンツ戦では2点リードの6回に2番手で登板し、1回を投げ無失点で初ホールドを挙げた。9月25日の対オリックス戦では初先発したが、3回に右足がつり降板した。2回0/3を投げ1失点で勝敗はつかなかった。
2016年は右肩が完治した8月に一軍に昇格し、6試合に登板、2017年は一軍登板はなかった。
2018年は2年ぶりの一軍登板を果たすも2試合の登板で防御率13.50と振るわず、10月4日に戦力外通告を受けた。
退団後
西武退団後は、妻の実家がある由利本荘市で再就職。退団後も野球に関わりたく、妻の秋田県立西目高等学校時代の恩師である、石川聡(秋田県立秋田南高等学校野球部監督)に相談。学生野球資格回復制度の認定を受け、2019年2月より秋田南高校野球部の外部コーチに就任。週末の練習に、バッテリーやトレーニング、投球術、配球面など幅広く指導している。
2024年からは、由利本荘市の「マーベラス」で自身もプレーをしている。
選手としての特徴
大学4年生時に直球は最速152km/hを記録。社会人時代に病気や怪我の影響で一時期球速を10km/h近く落とすも、5年目には150km/hに回復させた。
投球フォームは松坂大輔のそれを参考にした大きく胸を張るスタイル。このフォームを維持するため、社会人時代は水泳で背筋を鍛えていた。
詳細情報
年度別投手成績
- 2018年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 2018年度シーズン終了時
記録
- 初登板:2014年3月29日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(西武ドーム)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表にケビン・ユーキリスから空振り三振
- 初勝利:2014年4月17日 対千葉ロッテマリーンズ5回戦(西武ドーム)、5回表に2番手で救援登板、1回2/3 無失点
- 初ホールド:2014年5月21日、対読売ジャイアンツ2回戦(西武ドーム)、6回表に2番手で救援登板、1回無失点
- 初先発登板:2014年9月25日、対オリックス・バファローズ23回戦(京セラドーム大阪)、2回0/3 1失点 で勝敗つかず
背番号
- 19 (2014年 - 2017年)
- 49 (2018年)
脚注
関連項目
- 埼玉県出身の人物一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 豊田拓矢 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube




