萱嶋 高(かやしま たかし、1889年4月18日 - 1956年2月18日)は、大日本帝国陸軍軍人、陸軍中将。宮崎県児湯郡高鍋町出身。陸士22期、陸大32期。
経歴
天津駐屯歩兵隊(昭和11年5月30日からは支那駐屯歩兵第2連隊)長、歩兵第136旅団長などを歴任し、太平洋戦争開戦後は、留守第6師団長から新設された第46師団の師団長となるが師団が南方に渡る前に予備役、その後召集され再び留守第6師団長。
退役後、1945年に宮崎市長に就任したが、連合国軍の進駐にともない辞職した。その後、公職追放となり、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、通州事件に関する証言をおこなっている。舞鶴神社の宮司を務めた。
年譜
- 1910年(明治43年)5月28日 陸軍士官学校卒業
- 1920年(大正9年)11月22日 陸軍大学校卒業
- 1935年(昭和10年)3月7日 陸軍歩兵大佐・天津駐屯歩兵隊長として天津に駐屯
- 1936年(昭和11年)5月30日 支那駐屯歩兵第2連隊長
- 1937年(昭和12年)7月28日、北京南方の南苑戦に参加。この日夜は豊台に集結した
- 7月29日、豊台西方大井村附近に移動し、後命を待った。
- 7月30日午前3時、河邊旅団長から通州事件(事変)が発生したので、救援せよとの命令を受けて3時30分、連隊主力を率いて通州に急行した。
- 11月1日 陸軍士官学校教授部長
- 1938年(昭和13年)7月15日 陸軍少将・歩兵第136旅団長
- 1939年(昭和14年)11月15日 独立混成第18旅団長
- 1941年(昭和16年)3月9日 陸軍中将・留守第6師団長
- 1943年(昭和18年)6月10日 第46師団長
- 1943年(昭和18年)10月15日 予備役
- 1943年(昭和18年)11月1日 召集・留守第6師団長
- 1945年(昭和20年)4月1日 召集解除
- 1945年(昭和20年)6月29日 宮崎市長
- 1956年(昭和31年)2月18日:死去(享年66)
栄典
- 位階
- 1911年(明治44年)3月10日 - 正八位
- 1914年(大正3年)2月10日 - 従七位
- 1919年(大正8年)3月20日 - 正七位
- 1924年(大正13年)5月15日 - 従六位
- 1941年(昭和16年)9月15日 - 従四位
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 正四位
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章
脚注
出典
関連項目
- 盧溝橋事件
- 通州事件


![]()

![[4K] ShinTakashima 新高島 [Kanagawa 神奈川] [Walk 散歩] 854 YouTube](https://i.ytimg.com/vi/ci8J1hv6yVQ/maxresdefault.jpg)