榊原 政邦(さかきばら まさくに)は、江戸時代前期から中期の大名。越後村上藩第2代藩主、播磨姫路藩主。榊原家6代当主。
略歴
分家の旗本榊原家の榊原勝政(榊原康勝の庶子。1,000石)の子の榊原勝直(1,000石)の長男として誕生する。若くして嗣子なく没した榊原本家の政倫の養嗣子となり、越後村上藩を相続、その後に姫路藩に転封となる。
経歴
- 1675年(延宝3年) - 生まれる
- 1683年(天和3年) - 榊原家相続
- 1704年(宝永元年) - 播磨姫路に国替(5月28日)
- 1716年(正徳6年) - 男山八幡宮社殿を建て替え新築。
- 1726年(享保11年) - 死去、享年52
官位位階
- 1689年(元禄2年) :従五位下・式部大輔
- 1692年(元禄5年) :従四位下
- 1711年(正徳元年):侍従
榊原政邦の墓所
榊原政邦およびその正室と側室実相院の墓は、兵庫県姫路市の随願寺にある。政邦と正室の希望によりここに葬られ、また実相院の墓もあり、実相院の墓は夫人病治癒祈願の墓としても祀られている。
系譜
父母
- 榊原勝直(実父)
- 榊原政倫(養父)
正室
- 鍋島綱茂の養女、鍋島光茂の娘
側室
- 実相院
子女
- (長男)
- 榊原政祐(次男)
- 国姫 - 南部利視正室
- 孝子 - 酒井忠恭正室
- 青山忠朝正室
- 水野勝庸正室
脚注
外部リンク
- 榊原政邦墓所-姫路市のウェブサイト




