アン・ルイス(Ann Lewis、本名:アン・リンダ・ルイス、1956年6月5日 - )は、日本の歌手。兵庫県神戸市出身。ロサンゼルス在住。
アイドル歌手としてデビューした後、歌謡ロックの第一人者として活躍した。
プロフィール
父親がアイルランド系アメリカ人(アメリカ海軍の軍人)で、母親が日本人のハーフ。兵庫県神戸市に生まれ、7歳から横浜市中区本牧に在った米海軍の住宅街ベイサイドコートで育つ。3、4歳の頃から雑誌モデルやフィルム会社のCMにも出ていた。1970年、14歳のとき、横浜外国人墓地を散歩中、なかにし礼にスカウトされ、「なかにし礼商会」第一号タレントになる。
1971年2月25日に、ビクターレコードよりシングル「白い週末」でデビュー。当初はグラビアアイドルやアイドル歌謡を中心に活動する中、1974年に「グッド・バイ・マイ・ラブ」が、公称50万枚の大ヒット。その後は歌手としてはパッとせず、名前が出るのは週刊誌の恋愛関係の記事が多かった。ファッションにこだわりを持ち、自身でステージ衣装のデザインを手がけることもしばしばあり、70年代後半は、当時の所属事務所・渡辺プロダクションの後輩、キャンディーズの「やさしい悪魔」のステージ衣装のデザインや、仲が良かった山口百恵の衣装デザインを手掛けた。また『SUZUYA』にオリジナルファッションブランド『ONAGO』を立ち上げた。
桑名正博や多くのロックミュージシャンとの交流を経て、徐々にロック色を強め、1980年代に入ると「ラ・セゾン」や「六本木心中」「あゝ無情」などのヒット曲を放った。これらはチェッカーズや吉川晃司らとともにロックと歌謡曲の垣根を取っ払ったひとりとしても評価される。
記者会見で自らパニック障害であることを打ち明け、しばらく父親の母国アメリカに在住していたが、2005年11月23日にセルフカバー・アルバム『REBIRTH』を発売と同時に音楽活動を再開した。その後はファッションやペットグッズなどのデザイン、プロデュースも手がけている。2013年4月6日、元夫の桑名正博と息子の美勇士で親子3人共演CDを同年10月に発売すると同時に、これをもって完全にアン・ルイスが芸能界から引退することが発表された。
略歴
- 1971年2月25日、シングル「白い週末」でデビュー。
- 1974年、「グッド・バイ・マイ・ラブ」がヒット。
- 1980年、ロック歌手の桑名正博と結婚。
- 1981年、長男・美勇士を出産。この頃、育児に専念するため音楽活動をしばらく休業する。
- 1982年、活動再開。結婚を機に芸能界を引退した三浦百恵作詞、作曲は沢田研二の「ラ・セゾン」がヒット。
- 1984年、桑名正博と離婚・「六本木心中」がロングヒット。また、同年大塚食品の「アルキメンデス」のCMにも出演。
- 1995年頃、パニック障害を患う。
- 1999年、再び活動休止。
- 2005年、活動再開。
- 2007年、ニューギンからタイアップパチンコ機「CR アンルイスと魔法の王国」がリリース。
- 2009年3月、フジテレビ系の番組『独占!金曜日の告白SP』に出演。10数年ぶりのテレビ番組出演となり、近況を語るほか活動休止となったときの思いを語った。この番組内で「現在もパニック障害の影響で人前で歌うライブができない」「(在住するという意味で)日本に行くことはもうないと思う」と告白した。
- 2010年5月4日、フジテレビ系の番組『カスペ!・芸能界の告白大ヒットに隠された壮絶人生SP!』にVTRで出演。一時音楽活動を休止する原因となったパニック障害や、元夫の桑名正博・長男の美勇士らの話をそれぞれコメントしていた(インタビュアーはかつての歌手仲間だった研ナオコ)。
- 2013年4月6日、元夫の桑名正博と息子の美勇士で親子3人共演CDを同年10月に発売すると同時に、これをもって完全にアン・ルイスが芸能界から引退することが発表された。
家族
桑名正博は元夫、長男はミュージシャンの美勇士。美勇士の話によるとアンが4年に1度、来日する機会があり、その際は桑名と会うように仕向けていたという。
ディスコグラフィ
シングル
コラボレーション・シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
カバー・アルバム
コンピレーション・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
リミックス・アルバム
セルフカバー・ベスト・アルバム
CD-BOX
タイアップ
他の音楽家によるカバー
作詞(提供)
- YOU'RE THE ONLY GIRL
- 作詞:アン・ルイス/作曲:沢田研二/編曲:西平彰 * 1983年3月5日「JULIE SONG CALENDAR」(沢田研二)に収録。
出演
映画
- ザ・ドリフターズの極楽はどこだ!!(1974年)- 極楽島の女王 役
- 多羅尾伴内(1978年、小林旭主演版)
- 歌手役で出演、「甘い予感」を歌唱(同じシチュエーションでの映画出演は、他にも数本あり)。
- 十階のモスキート(1983年)
- テイク・イット・イージー(1986年)-池谷レイ 役
テレビ
- 百年目の恋 第22話(1974年、読売テレビ)- 坂本マリア 役
- バケタン家族(1976年、NETテレビ)
- びーびーテレビ大混戦(1978年、東京12チャンネル)
- 赤い死線(1980年11月7日・14日、TBS) - ケイ 役
- トライアングル・ブルー(テレビ朝日)
ラジオ
- ハーイ!アン・ルイスです(TBSラジオ)
- サウンド・ストームDjango(TBSラジオ)
- 歌謡大行進(1974年4月 - 1975年9月、文化放送) - 堺正章と共演
- アオレコ・ダイナマイトポップス(文化放送)
- アンと裕美の翔んでるジョッキー(1980年10月-1981年3月、文化放送)
- GIRL TALK TIME WITH ANN LEWS & YÚ HAYAMI(文化放送)
- JAM JAM 11(ラジオ大阪)
- RADIO PINK WITH
- アンルイスのハローハッピーラブ
- 〜ニュー・ライフ・ナウ〜れでぃおアン・ルイス(エフエム東京)
CM
- 小西六写真工業(後のコニカ、現:コニカミノルタ)さくらカラー(1972年)
- 花王 ドレッサー(1974年)
- 明治製菓(現・明治) 明治ソーダ(1975年)
- ブラザー工業 オーパス8(1979年)
- マルシンフーズ テキサスバーグ(1980年)
- ホンダ 三輪スクーター JOY (1983年)
- 大塚食品 アルキメンデス(1984年)
- 合同酒精(現:オエノンホールディングス、1985年)
- 日本ビクター(現:JVCケンウッド)ビデオムービー(1985年)
- 資生堂 エリクシール(1989年)
著書
- 『おしゃれ泥棒』ペップ出版 1978
- 『I love youより愛してるから… ファニー・トーキング』集英社文庫 コバルトシリーズ 1984
- 『アン・ルイスのアメリカンティップス L.A.でみつけた生活を楽しくするアイディア210』ジャパンタイムズ 2002
その他の関連人物・項目
- 北島健二
- ギタリストで共演多数。
- ジェイク・E・リー
- 80年代後半から90年代前半にかけて多くの楽曲に参加。過去にオジー・オズボーンのバンドにも在籍。
- 村上隆行、ラルフ・ブライアント
- バックコーラス「ピンクス」メンバーだった中田ゆうこを介して永年交流があった。とくに村上-中田が1989年結婚(中田はピンクス脱退・完全引退)の際、中田の披露宴の衣装の一部はアンがデザインした。
- キャンディーズ
- キャンディーズがデビューする前から、アンのバックガールを務めた経歴がある(アンの曲、「ハッピーヨコハマ」のバックコーラス)。キャンディーズがデビューしてからは、「やさしい悪魔」の曲の衣装や、後楽園球場で行われたサヨナラ公演のステージ衣装をアンがデザインした。
- 西城秀樹
- ジャガー(1976年6月5日リリース)「アンのアイデア」を当時のスタイリスト高橋洋子がデザインしたもの。公式サイト参照。
- テレサ・テン
- アンの「グッド・バイ・マイ・ラブ」を日本語および中国語でカバー。1996年、テレサの一周忌を機に日本で開催された展覧会のブックレットに、アンは追悼コメントを寄せている。
- 桑田佳祐
- 「哀しみのプリズナー」にアンがコーラスで参加。ほか、1986年と1987年の年末に日本テレビで放送された桑田企画の音楽番組『メリー・クリスマス・ショー』にも出演した。
- 鈴井貴之、大泉洋
- 北海道テレビ放送 (HTB) の『水曜どうでしょう』の第1回のゲストであり、そのインタビューの相手がこの2人だった。1996年の秋にレコード会社から「旅費は出しますので、アン・ルイスのインタビューをしてみませんか?」と言われたディレクター陣がインタビューを敢行した。このインタビューの帰路で企画された「サイコロの旅」は番組を代表する企画の一つとなる。
- 夢で逢えたら
- アン出演の「花王ドレッサー」続編(1974年秋)のCMソングとして、渡辺プロの依頼を受けて大瀧詠一が提供したが、諸事情で不採用となったとされる。後に別の歌手によって世に出た。
脚注
注釈
出典
関連項目
- 1971年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
外部リンク
- Ann Lewis (アン・ルイス) (AnnLewisDesu) - Facebook
- アン・ルイス Ann Lewis - ビクターエンタテインメント
- アン・ルイス - 日本コロムビア
- アン・ルイス - ソニー・ミュージックエンタテインメント
- PUKKABAKKA - プロデュースブランド
- アン・ルイス インタビュー - MUSICSHELF




