クリシュナーチャーリヤ・プールニヤー(Krishnacharya Purniya, 1746年 - 1812年3月27日)は、南インド、マイソール王国及び藩王国に仕えた大臣(ディーワーン)。ミール・ミーラーン・プールニヤー(Mir Miran Purniya)とも呼ばれる。

生涯

1746年、コインバートルのバラモンの家に生まれた。プールニヤーはカンナダ語、サンスクリット語のみならず英語も話すことができた。

1782年、マイソールの支配者ハイダル・アリーが死亡し、そのあとをティプー・スルターンが継ぐと、大臣に起用された。だが、ティプーはプールニヤーに改宗を迫ることはなかった。

1799年、ティプー・スルターンが第四次マイソール戦争で戦死したのちも、クリシュナ・ラージャ3世のもとで藩王国の大臣を続けたが、1811年に大臣を引退した。

1812年3月27日、シュリーランガパトナで死亡した。

出典・脚注

関連項目

  • マイソール王国

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